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2017年 03月 04日

ベンメリアと地雷博物館

アンコールワット遺跡群観光も最終日なので、思い切って遠出してみようと前日に決めたのがベンメリア。
シェムリアップから東に40kmの場所にあると言う。
トゥクトゥクでは遠すぎるかなと思ったけど、ベンメリアまでは問題ないって事だったので、初日から専属約束をしたドライバーくんにお願いする事に。
そして、気になっていた地雷博物館にも寄ってもらう事にしました。
先に結果を言ってしまうと、ベンメリアと地雷博物館のセットはトゥクトゥクはキツかった。
クーラーが効く車移動をお勧めします(笑)

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この日はアンコールワットのサンライズ鑑賞をしてから、その足でベンメリアに向かいました。
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途中にこの土地の名物なのか、竹の中に餅米を入れて焼いた物を売っている屋台が道沿いにずーっと続いていたので、気になって買ってもらう。
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こんな風にして食べる。
ちょっと甘いお赤飯みたいでした。

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片道2時間くらいかけて、ベンメリアに到着。
密林に埋もれた遺跡です。
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ラピュタのモデルになった遺跡と言われていますが、長い長い間密林に埋もれて朽ちていった具合が哀愁を感じます。
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すっかり見慣れてきてしまっていますが、どれだけの長い年月をかけたらこんな状態になるんだろう。
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生命力を感じずにはいられない。
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アンコールワットのように美しく完璧な保存状態の遺跡も素晴らしいと思うけど、滅びて忘れ去られたベンメリアもすごく良かった。
遠かったけど来てよかったと思いました。
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観光客があまりいないのも良かったですね。
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石の上に座ってボーっとしながら、小さい蝶々の群れや木漏れ日との遺跡のコントラストを眺めていました。ラピュタだな〜って。
もちろん頭の中はラピュタのテーマソング。
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現地調達ファッション、上から下までで合計$10(笑)
カンボジアコットン、涼しくて最高でした〜。





ベンメリアの後に向かったのは、地雷博物館。
陽が高くなっていて、トゥクトゥクに乗っていて屋根もあるし風を吹いてくるけど、空気自体が暖かくて暑かった。
それでもカンボジアの田舎の風景を見ながらの移動は楽しかった。

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地雷博物館。バンティアイスレイの近くにあります。
この施設はカンボジア人のアキラさんという方が運営しているそう。
そのアキラさんは壮絶な人生を送られて、こちらの地雷博物館を創設されたそうです。
以下、アキラさんの応援サイトから抜粋させていただきます。


1975年からクメール・ルージュがこの国を支配したため、アキラ氏も物心つく前に両親と引き離され「こどもグループ」の中で育てられます。それは正に少年兵を育成する為のもの。
5歳(1978年)の時、その両親もクメール・ルージュの手によって殺されてしまいます。
その後もその両親を殺したクメール・ルージュに育てられ、
10歳(1983年)になった時、一端の少年兵として初めて実弾入りの銃(AK47 カラシニコフ銃)を持たされ、地雷の埋め方の訓練も受けるのです。
13歳(1986年)になった時、この国に侵攻して来ていたベトナム軍との戦いの中でアキラ氏はベトナム軍に捕まり、それ以降ベトナム兵としてそれまで仲間だったクメール・ルージュと戦う事になります。
16歳(1989年)になった時、そのベトナム軍がカンボジアを去ったため、今度はベトナム軍と友軍だったカンボジア軍に入れられてクメール・ルージュと戦うのです。
20歳(1993年)になった時、この国を平和にしようとUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が入って来て平和維持活動を行いますが、アキラ氏はそれを手伝って初めて地雷撤去活動を行います。その時「自分はこれまで戦争の中で、数多くの地雷を埋めて大勢の人を傷つけ苦しめてきた。これからはそれに対する償いとして、一生懸けて地雷撤去をやっていこう。この国を平和にするためにこれからの自分の一生を捧げよう」と決心するのです。
その後はひたすら地雷を掘り続け、掘った地雷は自分で解体し、火薬を抜いたものを自宅に持ち帰っていました。そのかたわら資金を稼ぐ為に独学で英語を勉強し、UNTAC時代は英語の通訳と地雷処理の仕事で給料を貯めます。また、その後は日本語を勉強して遺跡ガイドの資格を取り、日本人向けのガイドをしてお金を稼ぎます。
そして遂に26歳(1999年)になった時、それまで蓄えたお金を全て投じてシェムリアップから5、6キロの地に、最初の「アキラ地雷博物館」を建てたのです。


クメール・ルージュとか、キリングフィールドとかカンボジアの悲しい歴史はなんとなく知っていたけど、こんな事実があると知ると、いたたまれたない気持ちに胸が押しつぶされそうになります。

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今でもカンボジア国内には地雷が埋まっていて、人々はそれに怯えながら暮らしているという。
平和ボケしている私も悲しい事実に背を向けないで、そんな事実にも向き合わないとと背筋を正す気持ちになりました。
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日本語の音声案内もありますので、展示物を見ながら説明を聞けて、じっくりカンボジアの悲しい歴史と現状に向き合える場所でした。



平均年齢が24歳というカンボジア。
街中では年配の方を見かけることがあまりありません。
悲しい歴史を背負いながら健気に暮らしているカンボジアの方々は、控えめで優しい人達ばかりで応援したくなります。
周りきることがが出来ないくらいの数多い遺跡群や、物価の安さ、魅力的な街やホテルなどなど、ポテンシャルが高いカンボジア。
行けて良かった、またいつか行ってみたい国になりました。
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by bemnty | 2017-03-04 11:24 | Cambodia | Comments(2)