2015年 04月 13日
今回、南西部の海岸から内陸に来た理由のひとつはこのシギリヤロックを見てみたかったから。 シンハラ王朝の5世紀、ダートゥセーナ(英語版)王の息子カッサパ1世は、王の甥であり軍司令官でもあったミガラの支援を得てクーデターを起こし、477年には父親から王権を奪取する。しかし平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナに王位を奪還される事を恐れ、長らく首都であったアヌラーダプラを離れ、より安全なシーギリヤへと遷都した。カッサパが在位にあった477年から495年の間、シーギリヤは複雑な市街と防衛機能を併せ持つ都として発展し、即位から7年後にはシーギリヤロックの頂上に王宮が完成する。 一方、兄カッサパからの難を逃れていたモッガラーナは、亡命先の南インドから軍隊を引き連れ兄に戦いを仕掛ける。当初はカッサパ王が優勢であったものの後に劣勢に転じ、観念した王は喉を掻き切り自害、495年、シーギリヤは陥落する。王位についたモッガラーナはシーギリヤを仏教僧に寄進し、再び都をアヌラーダプラへと移した。シーギリヤは13世紀から14世紀頃まで修道院として存続するが、徐々に衰退。その後は16世紀から17世紀にキャンディ王国がこの地を分営として利用するまでの間、記録は残されておらず、また同王国の衰退の後にも再び放棄された。 建設から1400年の後、イギリス統治下の1875年に、イギリス人によって岩山に描かれたフレスコ画である"シーギリヤ・レディ"が発見された。ーWikipediaよりー 1500年以上も前に、自身の父親である王を殺害し王位剥奪し、ジャングルの中にぽつんとそびえ立つ巨大な岩山の頂上に城を構え、王族出身の母を持った腹違いの弟の侵略に怯えながら暮らしたと言われている。 朝7時半にドライバーさんに迎えに来てもらって、カンダラマホテルからは40分ほどで到着。 8時ちょっと過ぎでまだ早かったためか、予想してたよりそれほど暑くなく、観光客もそれほど多くなかった。 敷地内は常にきれいに清掃してるようで清潔でした。 このような狭い通路を歩くので、混雑してるときは怖いなと思いました。 中腹で見れるシギリヤレディのフラスコ画。 1500年以上前の物とは思えないくらいに鮮やかです。 当初は500体あったそうですが、現在は18体のみ残っています。 急な階段を上っていくと ようやく門に辿り着きます。 今でもライオンの足はきれいに残っていますが、以前はライオンの頭もあったと言われています。 さすがの迫力です。 ここから上に見える細い階段を上って頂上まで行きます。 思いっきりオープンなんで、それなりに怖いです。 高所恐怖症の人にはキツいかも。 なんとか頂上に到着。 ここから360度見渡せるのですが、写真では上手く伝わらなくて残念。 午前中の早い時間だったので、まだちょっとガスっていましたが、だんだん晴れてきて気持ちよかったです。 正に天空の城。 貯水池もしっかりあって。 忘れ去られていた時間が長かったためか、1500年以上前の遺跡とは思えないくらいでした。 口コミでは連日大混雑とあったのですが、早い時間とあって混雑もそれほどでもなく 気温も上がる前に頂上まで上れたので、気持ち良かったです。 ほんとは、朝食をスキップしてもっと早く出る予定でしたが、これ以上早く来てたらガスっていて見えなかったかも。8時到着くらいで丁度良い感じでした。 帰りの階段では、上りの階段は混雑してきていました。 階段は狭くて急斜面で高所でオープンなので結構怖く、どうしても慎重にゆっくりになってしまうため、混雑しているとかなりの時間がかかるらしい上に猛暑となるとキツいですよね。 しかも濡れていると滑り易いです。 私はエアーズロックには上ったことがないのですが、経験済みのダンナ曰くシギリヤロックの登頂の方がキツいとか。(ま、エアーズロックは10代の頃なので、体力の差もあると思いますが) 今回は条件が良かったので、想像していたよりも楽に上れました。 この時間帯がお勧めです。 この後はホテルに戻ってチェックアウトまでプールでゆっくりしたりして、昼食後にまた長い時間をかけて空港近くのホテルに移動しました。 これでスリランカ旅行記の最後になりますが、もっと時間をかけてゆっくり滞在したいと思える居心地の良い国でした。 ー最後にー 戦後日本を分割占領案から守ってくれた当時のセイロン大統領、J・R・ジャヤワルダナ大統領のサンフランシスコ講和会議での演説。 大師(ブッダ)のメッセージ、 「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 人は憎しみによっては憎しみを越えられない 実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。 怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」 こちらの記事から抜粋させて頂きました。 このスピーチが、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていたソ連による反対を押しきり、日本の国際復帰への道につながったといわれています。 本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカだったそうです。 日本を救ってくれたスリランカに敬意を込めて。
by bemnty
| 2015-04-13 23:51
| Sri Lanka
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Comments(4)
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yur-cafe at 2015-04-20 18:07
まさに天空の城ですね。
bemntyさんの記事を見るまで知りませんでした。 世界には自分の知らない素敵な場所が沢山あるものだなぁ・・・と改めて思いました。 最後のメッセージに感動です。 世界で一番早く日本と外交関係を結んでくれたスリランカ。 なんだかウルウルしてしまいました。
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bemnty at 2015-04-21 23:37
miyoさん、こんにちは(^o^)
そうなんですよ、スリランカって奥が深いんです。 他にもシギリヤロックからそれそど遠くないところに幾つか遺跡があったりするんです。 サファリも行きたいし、まだまだ行きたいところだらけです。 文化や自然動物も興味深いですが、スリランカって仏教に密接でドライバーさんが普通にパーリ語のお経を車で聞いてたりするんです。 パーリ語ってお釈迦様の時代の言葉で今は使われてない言葉なんですが。 サンフランシスコ条約のセイロンの大統領のスピーチの内容的なこともスリランカでは日常なのかもしれませんね。 私も泣けます。 泣く演技しろって言われたら、このスピーチのこと思い出すと思います。 ま、女優じゃないんで、そんな機会もありませんが。 このセイロンの大統領はとっても親日家だったらしく、亡くなった際に献眼されたそうで、片目はスリランカ人にもう片方の目は日本人にと遺言を残されて、片目は日本に送られたそうですよ(また泣く)
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yur-cafe at 2015-04-23 07:27
どんなにネットやガイド本で情報を集めても
現地で肌で感じる事でしか知れない事が多いですね。 そんな旅を肥やしにして成長できれば更に良いのでしょうけど・・・ 私の場合は体だけが・・・という悲しい結果(笑) 献眼の話にまたまた涙してしまいましたよ。 日本の事をそんなに思ってくれていたなんて ただただ感動しています・・・。
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bemnty at 2015-04-23 22:14
miyoさん、またまたコメントありがとうございます。
いや〜、美味しいものを美味しく食べれるよううちが華ですよ。 旅先で付いた脂肪はご愛嬌です(笑) スリランカに行きたいと思ってから2年の月日がかかったので、その間はネットの記事などもスリランカには敏感になっていたので、色々と興味深い事を知れました。 それまではスリランカ=ウィッキーさんだけだったので(苦笑) |
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